自分の命のときめきに素直に生きる

未来
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私の考える「好き」は単に好き嫌いの次元で語られるような「好き」ではありません。どうしてもやりたいとか、自分の命がときめくようなことが「好き」 の中心にあると思っています。それは単に、楽しいとか苦しいとかを超えた「生きているよろこび」です。

自分は何に対して命がときめき、ワクワクするのか。このときめきをつかまえておくことが大事だと思うんです。でも、10代、20代では経験の量が少ないため、自分の命が何にときめき、ワクワクするのかをつかむのが難しい。だから、迷いはあるけれどどうしてもやりたいと思ったら、どんどんやればいい。三日坊主でもいいので、他人(ひと)がなんと言おうが、社会的に意味のない行為とされようが、やりたいと思ったら自分でまずはやってみる。経験してみる。その上で、自分に合うのかどうか、自分の命がときめくのかどうかを確かめてみるのがいいと思います。

今の社会は、意味が強すぎる社会です。経験する前から、その行為や活動に意味があるかどうかを考え過ぎてしまう。意味ではなく、生きている経験が大事です。衝動やワクワク、ときめきみたいなものです。これらに素直に生きていると、後々その経験が意味になり、いずれはその人の仕事になると思います。

自分探し

もう一つ伝えたいのは、「自分探し」という行為です。これは近代の呪いです。私は自分なんて無くしてしまったほうがよっぽど生きやすくなると思っています。この「自分探し」にとらわれると、生きにくくなります。

何を感じ、何を思い、どう考えるかの出発点は自分です。ただ、自分探しの呪いにかかっている人たちは、自分から矢印が出て、矢印の行き先もまた自分に向いている。このベクトルだと、世界中どこへ行ったとしても、誰と出会っても、地球の外へ出たとしても、何も変わらないと思います。

大事なのは、矢印の出発点を自分に置き、その矢印の行き先を(自分ではなく)世界に向けることです。矢印が世界そのものに開いていると、自分が考えている以上に世界は広くて大きいんだということがわかり、幸せな気持ちになります。自分より広い世界があるとわかるから、学びたい衝動にかられる。知的好奇心が湧いてくる。旅や登山をする人は感覚的にわかると思うんですが、自分の命が透明になる感覚、あるいは世界とつながっているような感覚です。これは自分探しとは全く違うベクトルです。他者や世界に開かれた自分です。命を世界に開き、世界とつながっている経験を、多くの子どもたちにしてほしい。世界全体と自分の命がつながっていることを、概念ではなく身体経験として理解することが大切だと思っています。

生き方の延長にある仕事

今、仕事のあり方も大きく変わってきています。私たちは仕事観を更新しないといけない。

私が仕事を考えるときに重要視している点は三つあります。一つ目は自分が心からその仕事をしたいと思っているか。二つ目は、他の人にとって役に立つのか。三つ目は、環境を含んだ社会にとって意味があるのか。この3点の重なりを意識して仕事をすることが極めて重要です。

3点が重なる仕事ができれば、私たちは今以上に生きやすくなるはずです。自分が豊かになることで他者を不幸にしたり、人類が豊かになることで環境が悪くなる。これが不幸やいびつさを生んでいる元です。私たち人類が幸せになることで、環境も豊かになる仕事をつくっていくことが、今求められています。みなさんの仕事に当てはめてみて、もし自分がやりたくない仕事をしているのであれば、やりたい仕事にするにはどうしたらいいのか。環境を悪くしている仕事であれば、環境を良くするにはどうしたらいいのか。そのことを考えた上で、チャレンジしなければいけないと思っています。

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